家庭のおける仏壇・位牌の意義
〜一隅を照らす運動は家庭における祈りから〜


◆仏壇は家庭における祈りの場◆

天台宗の仏壇のまつり方(1)

『天台宗のしきたりと心得』(天台仏教青年連盟監修)より
神仏習合の日本では、仏壇と神棚を祀る家庭も多いでしょう。家庭に仏壇があることは仏教徒の大きな証です。天台宗の仏壇では本尊となる阿弥陀如来を真ん中に、左右に天台大師・伝教大師の掛け軸を祀るの場合が多いようです(下図参照)。
「おじいちゃん、おばあちゃんが亡くなったから仏壇があるんですか?」
これだけではありません。確かに、家族の誰かが亡くなったので、その位牌をお祀りするために仏壇を初めて購入されたという場合もあるでしょう。
仏壇は、まず、家の宗派のご本尊様を安置する場所です。本来自分の菩提寺へ毎日でもお参りできたらいいのですが、時間の余裕がなかったり、遠方だったりで、現実問題としてなかなか難しいかもしれません。自分の家へお寺を持ってきたと考えてたらわかりやすいでしょう。
また、現代に至るまでの仏壇の成立と経過を考えたとき、先祖の御霊(みたま)は何らかの形で我々に影響を及ぼし、その御霊が祟(たた)ることへの恐怖と、その鎮魂のために我々の先人は供養をしてきたことを忘れてはならないでしょう。仏壇と位牌は、先祖供養という日本の民俗的な宗教意識の影響を受け、現在のような形態になったといわれます。追善供養をし、御霊の冥福を祈ることは子孫の責務であり、先祖のご加護によって家内安全と幸福、ひいては次代の永続、繁栄を願うことなのです。我々日本人は畏敬の念を持つことを自然と身につけていたわけで、家における宗教的シンボルが仏壇であり、位牌にほかありません。
平成11年11月に開催された一隅を照らす運動四国大会の記念講演で、小林隆彰師は、お詣りする場所=信仰の拠り所として家族各自が、仏様・ご先祖様に手を合わし祈る中心的シンボルであると、家庭における仏壇の大切さを説いていらっしゃいました。
「おはようございます。今日は○○について頑張ってきます。ご先祖さま、どうぞお守り下さい」
「今日は○○がありました。今日も一日無事に終えることができました。ありがとうございます」
と、仏間は家庭において亡きご両親やご先祖様と対話し、感謝したり、懐かしむと同時に、救いを求め、祈ることができる貴重な空間といえます。
仏壇があり、そこにお供物を供え、拝む家は明るく落ち着いているのではないでしょうか。おじいさん、おばあさん、そしてお父さんお母さんがそういう態度であれば、子供も感謝と思いやりの心が自然と身につきます。朝に夕に礼拝する、静かで清らかな場所があるとないとでは、家族の心の成長にも違いが生じるでしょう。
「自分が生かされているその場所で精一杯生き、一人ひとりが心豊かになり、明るい未来を実現していこう」という"一隅(いちぐう)を照らす運動"の基本的実践が、お仏壇を大切にし、ご先祖様を大切にすることから始まるのだと思います。祈りのある生活には反省も生まれます。
天台宗の仏壇のまつり方(2)−略式−

『天台宗のしきたりと心得』(天台仏教青年連盟監修)より
日本天台宗を開かれた伝教大師最澄上人は「仏性の開発」「浄仏国土の建設」を説かれ、日本が理想的な仏教国となることを切に願っておられました。そして故・山田恵諦天台座主猊下は、「家庭においても祈りが大切である」と、みなそれぞれの宗教心の培養を望んでおられ、「家庭宗教の推進」を一隅を照らす運動の基本に据えて檀信徒に勧められたのでした。
現代日本社会は、戦後、経済成長を遂げて物質的豊かさには恵まれた国となりましたが、一方、古い家族制度が衰え、核家族化、個人主義が台頭してきました。最近では、平成不況やリストラ問題、青少年の異常ともいえる行動と事件が発生、IT(情報技術)革命という高度情報化が進み、世の中はますます複雑化の一途をたどっています。
金襴豪華な仏壇でなくとも小さな箱仏壇でよいではありませんか。家庭の中に精神の拠り所となる仏壇をおき、祈念することが大切なのです。
「信は荘厳より生ず」という諺(ことわざ)がありますが、私たちのご先祖様をはじめ親・兄弟の霊位を祀る仏壇なのですから、日頃から、献花・供物をそなえ、きちんと掃除が行き届き、朝夕にお詣りできれば、とても有り難いことだと思います。
我々は、ご先祖様、両親から生命が受け継がれて、今の自分があるわけで、決して一人で生きてきたわけではなく、現在の中に過去と未来を内包しながら、生きているのです。ご先祖様は常に我々のそばにいて、見守ってくれています。祖先のあたたかい心に触れ、こういった心を次世代に継承することが肝要です。


◆仏壇と位牌とほとけ◆

現代では、仏壇は在家の一般家庭の本尊や位牌を安置する厨子または宮殿形のものをいいます。文字通り、仏様が安置される台座のことで、寺院本堂で見られる仏像仏具を祀る須弥壇(しゅみだん)に由来します。
日本では、奈良時代天武天皇14年(685)に、「詔して諸国毎家に仏舎を作りて、すなわち仏像及び経を置き、もって礼拝供養せしむ」と『日本書紀』にあり、歴史資料上の仏壇の起源と言われています。この場合の仏壇は、主に仏像を祀り、信仰・礼拝の対象ということが主眼でした。
一方、位牌はもともと儒教の習俗からきており、儒教では故人の生前の官位や生命を書いて祀る慣習がありました。日本では祖先崇拝の対象として仏教と融合し、死者の霊を祀るために法名(戒名)を記す位牌となり、寺檀制度(檀家制度)が確立した江戸時代から一般に普及していったようです。天台宗や真言宗では位牌に梵字を書きますが、御仏(みほとけ)に霊が救われた意味をあらわしています。
ところで、インドの仏教では「仏」は悟りを開いた人(覚者)のことで、死者をさす言葉ではありませんでした。日本では、死者やその御霊(みたま)、祖先のことを「ほとけ」いいます。
我々の命、肉体はいつか滅びますが、有限な肉体を離れた魂は、無限永遠であり、永遠の御仏と先祖の御霊とが、無限永遠という観点で、同一視されるようになりました。
これは、仏教の信仰において一切衆生はみな仏性(ぶっしょう)を持っていて、死者はすべての命の根源である無量なる命としての仏に帰すると考えることによります(『中村元仏教語大辞典』)。また、我々の心の中に仏・菩薩の姿に先祖の姿を重ね、投影し、敬虔な気持ちで安心(あんじん)と救いを求めてきたからです。
こういった信仰対象がやがて位牌に発展し、釈迦如来や阿弥陀如来や宗派各祖師の仏像仏画に加え、位牌を仏壇に祀るようになったのです。つまり、我々日本人にとって、仏壇は、仏教信仰の本尊を祀る仏壇という意味と、先祖御霊の象徴である位牌を祀るという二つの大きな意義があるということです。

コラム 「壇」と「檀」
家庭に祀るブツダンは一般的に仏壇と書きます。
「檀」は「まゆみ」という喬木のことで、材質が強く弓の材料に使われます。そして、紫檀・黒檀・白檀など念珠に用いられています。また、檀は布施の意味があり、『大智度論』十二に「仏檀」が出典されています。
「壇」は土を盛り上げて築いた高いだんのことで、礼拝対象を祀る祭壇や、会見や対論で双方が立つ土壇でした。また、土壇は、別に斬罪を執行するために築く壇にもなったので、土壇場(どたんば)は刑場を意味し、死刑の際に身を置く場所から、後にせっぱ詰まった時をいう意味に転じたのです。
五来重氏は、仏教民俗学的観点から「広辞苑等の辞書は寺院の仏壇との混同である」と、家庭のブツダンは「仏檀」が正しいと主張されています。
一方、橋本芳契氏は、檀家にある仏壇で仏檀とか、木製だから仏檀という説もあるが、「語の正体をわきまえるなかに、仏壇の真義を知る」と、「仏壇」が正しいと主張されています。仏壇店の名前は「仏壇店」「仏檀店」のいずれの場合もありますが、最近では、「仏壇店」とする方が多いようです。


<参考文献>
『仏教語入門』橋本芳契著(法蔵館)
『仏教民俗学』山折哲雄著(講談社文庫)
『仏教と民俗』五来重著(角川選書)
『天台宗のしきたりと心得』天台仏教青年連盟監修(池田書店)
2000.10.30版