一 隅 を 照 ら す

−伝教大師の六念を中心にして−



比叡山延暦寺乗実院住職

 真嶋康祐師講話

Majima Koyu



○比叡山根本中堂の輪番として
ご紹介がございました真嶋でございます。ちょっと高い所からでして、私は自席の控席でいいと言ったんですけど、やはりカッコつかんものだから、上へあがれということで。
現在、比叡山の根本中堂の輪番でして、平成9年11月までは四国の出身でございます小林隆彰師、現在叡山学院の院長をされています、その小林執行(しぎょう)の時に6年間、その下で管理部の管理部長を拝命しておりました。いろいろなものを作る役なんですね。また大講堂を修理いたしましたり、以前は和労堂という休憩所がございましたが、それが一番いい場所にあったものですから、小林執行は何とか萬拝堂というお堂を頑張って造りあげようじゃないかと、何とかせよということで、和労堂を撤去して基礎を造り、冬場の中で苦労いたしましたが、萬拝堂と一隅を照らす会館が5か月で完成いたしました。
日頃は本山護持のために、また宗団の発展のためにいろいろご尽力いただきまして有り難く感謝いたしております。お寺というものは住職の努力はもちろんのことながら、檀信徒の皆様のご助力、そして仏様のご加護、仏様のお守りがあって一つのお寺が成り立つことができるのであります。私のような若僧がここにお邪魔をして偉そうな態度で、私どもの大先輩の前で生意気なことを言ったら叱られると思いますが、教区宗務所長さんから「道後のお湯にでも入りに来い」ということでございましたので、そのお言葉に甘えましてお邪魔をいたしました。これからしばらくの時間、どうぞおつきあいしていただきたいと思います。堅い話はいいから、みんなが楽しい、柔らかい話をと、柔らかいというか、チクチクお互いに痛いことも併せて話をさせていただこうかなと思っております。
特に私自身、自分の師匠であると自分が勝手に信じ込んでいる人がおいででございます。これはもう亡くなられましたが、生田孝憲という大僧正でございます。大先輩方はご存知の方が多いと思います。晩年、最終は京都山科の毘沙門堂の執事長をなさいまして、作務衣で足袋も履かずに毘沙門堂の復興に12年。比叡山には籠山制度というのがありますが、文字通り12年ご尽力をなさったお方でございます。そのお方が居士林の所長を永くなさっていた時に私は居士林の指導員でお世話になって、その下で4年間、育てていただきました。その時の日時が今日の私を創りあげたと言っても過言ではないわけでございます。そういった意味で完全に私は生田さんに育てていただいた、自分の師匠は生田さんであるというふうに信じてきたわけでございます。それも不思議なことにお亡くなりになられた時はどうしても外出をしておりまして駆けつけられなかったのでした。明くる日の早朝に駆けつけましたら、丁度、白衣と申しますか、着替えをなさった時で本当に裸のお姿を、「真嶋さんいい所に来てくれた」と言って、直に触ってお世話をさせていただいたことを思い出しております。

戸津説法を勤仕される生田孝憲師
(平成2年8月、大津市の東南寺で)
なぜそんなことを切り出したかと言ったら、生田師は一番最後は坂本の生源寺(伝教大師のご誕生地)の輪番をなさり、輪番はもう名前だけで、ほとんどもうボロボロでございます。骨粗鬆症(こつそしょうしょう)と申しますか、
「ワシはな、転けたらあかんのや、これで最後や」とおっしゃった。
「先生、何ですねん?」と言ったら、
「ワシはな、栄養失調になってな、もうチョンと蹴躓(けつまず)いたらポキッと折れるんや」
そして次に何をおっしゃったかと言ったら、8月17・18日は生源寺で宗祖伝教大師様のお誕生祭があるんですね。前夜祭と当日の18日の法要、音楽法要やいろんな法要がございます。そういった時にお祭り騒ぎをいたします。その時のことが私は忘れられないというか、生田さんが、
「ええなー、お大名やなー」とおっしゃったんですね。
「そんなことでええのか」とおっしゃったのを何回も聞いた、遺言のような言葉でございます。
「そんなことでええのか」
このお祭り騒ぎで100万円、200万円かけるものですから。生田大僧正は毘沙門堂で小僧とともに裏の畑で野菜畑を耕して、小僧1人1日に100円の予算でもって、ともに生活をなさって、毎日菜っぱのみそ汁で12年、毘沙門堂を見事に復興なさったわけです。そして文字通りボロボロになられて、おっしゃったお言葉が「こんなお大名でええんか」という言葉でございました。この言葉を私は肝に銘じながら日夜懸命に頑張らさせていただいている次第であります。
昨年(1997年)の11月に、現在の延暦寺内局の改選がございまして、
「真嶋君、君は根本中堂でやってくれんか」
ということでございました。前に延暦寺の部長・副執行をした人間は近くにおりますと邪魔になるんですね、正直申し上げると。
「私はこんな近くにいていいんですか」
「ぜひ根本中堂でしっかり拝んで、法話もひとつピシッとやってくれんか」
こういったことを清原恵光延暦寺執行から申し受けまして、
「それじゃ、ともかく頑張ります」と。
現在1年が過ぎまして毎日薬師供を修し、薬師護摩供を修しております。また、根本中堂の右端に毘沙門天をお祀りしておりますので、北方のお守りでもあります毘沙門供を修し、そして一番左側には祖師壇と申しまして天台大師様、伝教大師様、慈覚大師様、慈恵大師様、そして比叡山満山三宝、すべての方々に『法華経』を一品ずつお唱えをさせていただき、『金光明経』という他ではお唱えにならないお経を唱え、もう一つ大事な『護国仁王般若経』というのがございます。この3つで「三部経」と申します。毎日それらを修ささせていただいておるわけでございます。よく坊さんのことを言うのに三日坊主という言葉がございます。おそらく、真嶋は三日坊主だろうなということであったようですが、私は一千座、根本中堂で一千座護摩を焚けば少しはマシな僧侶になるんじゃないかということを目処に続けているわけでございます。今年1年で340座ほど焚かせていただきました。大体ご理解いただけると思います。
この会場にも私が比叡山行院で行監をしておった時においでた方も中にいらっしゃいます。行院の生活を思い出してほしいのですが、毎日毎日こうして修ささせていただくと、「根本中堂の輪番って、こんなに重労働なんですか」と駐在布教にみえた布教師の方がおっしゃいました。
「これは当たり前でございます。毎日3時間、4時間拝まさせていただいて幸せじゃないですか」

強風でササラになった巨杉、後方は根本中堂
(延暦寺提供)

こういった気持ちで一生懸命取り組まさせていただいております。そういったことを含めて、これは誤解のないようにお聞きいただきたいのは、先般、台風というか大変な強風が吹きました。根本中堂の後ろには大きな杉の木があります。その大きな一抱え半ある巨杉が倒れかけて、その根元がササラになったわけですね。ササラというのはおわかりいただけるかと思いますが、強風に揺られて下の方から順番に木が切り裂かれていくわけです、ガァーッと。そして朝行きましたら3分の1がササラになった杉が頑張ってくれまして、根本中堂へ直撃は助かりました。その時になるぼとお薬師さんはおいでだと確信いたしました。生意気なようでございますが、やはり毎座、毎座ド真剣になって拝まさせていただいた、これがお守り下さったんだなぁという、私は生意気なようだけれども、思わずそう実感したのであります。
ところが明くる日に何とかその木を切ってくれんかと頼みました。明くる日も雨でございました。根本中堂の後ろは10メートルから15メートル程の石積がございます。木はその上にまだこうして立っておりますので、濡れている木を20、30メートル、上がらなければいけない。とても危なくて、もうロープを巻くことができない。何とかしてくれんかということで、翌日ですね、このササラが辛抱できなくなってきている。ミシ、ミシッといっていますので身を切られる想いで辛かったんですが、これで倒れたら仕様がないということを覚悟しました。明くる日の午前中、少し雨が止みまして、60数歳の材木屋の方が、「何とか上がってみよう」と、上がられて、そして伐採していただき、どうにか難を逃れましたが、毎朝今も「よう辛抱していただいた、よう頑張ってくれた」といってその切り株に手を合わせております。その気持ちをおわかりいただけたらと思います。そして懸命に、頑張っていけば神仏に通じるんだなあということをしみじみと感じました。そういった面では「非常に幸せな場所に置いていただいたなぁ」と喜んでおるわけでございます。
あと少なくとも2年は頑張って焚けば一千座になりますので、「一千座焚けば、1つの入り口がわかってくるんじゃないかな。御仏というものが本当にわかってくるかな」と、こう思っているところでございます。
それを一言言いたくてここに参りまして、これからいろんなことに触れていくんですが、その時に、私を今日もいろいろお世話いただいておりますのは皆お寺の羅羅(らごら)さん、つまり2世、3世さんでございます。そういう私も2世でございます。本山を含め、あらゆるお寺が皆、2世、3世の時代になって参ります。そうなって来ますと時代の風潮でございましょうか、私自身が非常に甘い物の考えというか、厳しさがどうしてもなくなる。その時に、生田さんがおっしゃったのが、
「厳しさがないぞ、おまえたち厳しさがないぞ」
ということを遺言のようにして残されました。これは私だけに残されまして、それを常々思っておりますと、それを実行に移し、実際に表現していくと一番嫌われるわけでございます。私がおそらく本山で一番嫌われているんじゃないか。生田さんも努力をなさって本当に器用な方だったけれども、一言、二言と親切で言われることが強く聞こえるのですね。
世の中ってそうじゃないですか。正論でもっていきますと非常に厳しくなって来るんですね。だから今、私は、「あいつは正論で述べるからちょっと・・・」という評価でございます。逃げる場所をやはり用意しておかないと駄目なので、こうじゃないかと言ってしまうと、みんなわかりきっているのだけれども、なかなかできない。そうじゃないですか。「一隅を照らす」ということを言っておきながら、檀家の皆さんも住職方も本当に一隅を照らしておいでかどうか。本当はこういったことから、よく見ていかないと、なかなか解決にならないですね。ただこういうことが各教区でいろいろあります。そうするとまあまあと当たり障りのない言葉を言っておけば、一番いいわけなんです。そして後はどこかの仏教学者か、いろんな難しいことを言う人を呼んで来て、難しいことでわかったかわからんかでお茶を濁していけばいいというのが今の各教区のいろんな会合じゃないだろうかということを常々悲しく思っておるわけでございます。そういうことを言うから嫌われるんですが、今まさにすべてがヨイショの時代でございます。どうぞ御老僧方、ご遠慮なしに若者に苦言を呈してやっていただきたい。私どもの本山ですら、もうそれがなくなってきたと思います。

(ハチ)は法要で用いられる
シンバル状の楽器

大法要がございますとお調べといって必ずご注意がございます。私が住職になって初めて七条を着せてもらって大きな法要に出仕をいたしました。その時に(はち)の役が当たり、を初めて正式にそういう場でつきました。持ち方とかはもちろんわかっていたのですが、七条をかちっと着て、普通ですと如法衣だけですから楽なもんなんです。その如法衣だと柔らかくて楽にいけますから。七条の新しいものを着ますと、親指を通すところがピシッと引っ張られるわけなんですね。それでこうをつきまして、そしたらスリップと言うんですか、ちょっと最初の一つの音がパッと滑ったものですから、かなり練習したつもりですが、片方の腕が引っ張られたため、力がうまく入らず、小さなをついてしまいました。今は減量いたしましたが、私は大学時代に相撲部に入っておりまして、弁慶などと茶化されておったわけですが。
その小さなをついてしまった時に、ある大僧正が、
「おい、真嶋。が割れるくらいにつくかと思ったら、エライおとなしいやないか」
とこう言われたんですね。これは大きな注意なんですよ。笑っておっしゃったけれども、やっぱり失敗、大失敗したなと。それがあるから今度はなしでお堂の裏で練習するんです。その時も生田大僧正が、
「おまえ、あつかましい。を初めてつく人間が何でを持ってするんだ。はいらん。イメージトレーニングばっかりやれ。もしもっと言うのなら、両脇に紙を挟め。そして四四三三・四四二二・四四一と、早なら早、それを腕が痛くなるまでを持たずに練習しろ」と。
今そんなことを言われるような方は誰もおいでになりません。みんな「ああ、この程度か」と、心の中でお笑いでも言葉として出されないから、みんなそれが当たり前みたいになっているわけですね。
要するに伝統というものはそうして伝わっていくわけですね。私どもの世界でもみんながこういう時代になってしまいましたから、間違ったまま、そのまま行く恐れがあるということなんです。だから御老僧方にその都度その都度一言ずつ、お調べというものを、やはり四国教区でも大きな法要が勤められた時には、「こういう形だぞ、昔はこうだったぞ」と、そういったことが非常に大事になってくるんではないかと。ところがもう羅羅の時代ですので、「あんまり言うとな、あんたの息子どうやと、お互い皆言われる」という。これはあまりざっくばらんになってしまってはいけないですけれども、私等で導かなければなりませんね。そしたら今度は身体でもって、やっていく以外にないわけです。
最近、景気が悪くなって海外へ出ておいでの人たちが近場で過ごされるような形になったのでしょうか。また明石大橋が架かったから、こちらから淡路島、四国へ行かれますが、同じように四国からもこちらへ紅葉狩りにお越しのようで、根本中堂は連日超満員でございます。それでもの凄い埃が溜まるものですから、根本中堂の回廊の隅に、また階段の所にゴミが溜まっていてはとても「一隅を照らす」などと言ってられないんです。埃が溜まっていたら「君らどうだ」と若者に掃除をお願いするするんです。もし埃が溜まっていたら、
「何が『一隅を照らす』や。掃除も満足にしとらんやないか」
これが一番辛うございますので、朝、根本中堂へ行きますとパーッと脱いで掃除をやるんですが、あまりやりすぎても嫌みになるもんですから、けれどもやらなきゃ若者はなかなか付いてきません。
生田大僧正は決して簡単にはお褒めになりませんでした。居士林の所長の頃、法話をなさると、私たちは煙草を吸ってコーヒーを飲んでいてもいい時間なんですが、もったいないですから、襖越しに話を盗み取りするわけです。それは気配でわかるわけです。こんな立派な建物(会場のメルパルク松山)ではわかりませんが、襖越し、障子越しは気配でわかります。そうすると察しておいでてすね。
「おー、よう聞いとるな、努力しとるな」とは絶対におっしゃらない。
明くる朝、明くる日になって、「おい、真嶋。法話して来い」
これが導きなんです。襖越し、障子越しに聞いていたやつを喋って来いということでしょ。だから「はい」
それで「終わって参りました」
「君、何喋った?」
「一隅を照らす、己を忘れて他を利する・・・」
「何や、ええことをみんな言うてきたな」と言ってこうおっしゃるんです。そこで甘えまして、
「早い者勝ちでございます」と笑って言ったら、
「そうか、わしはまた違うことを喋ろうかな」と言って、そうして教え導いていただきました。
今はこういう話をいたしますと、若者は「そんなことして何になるんや」と、こう言うんですよ。これになったらどうしようもないわけですね。世の中全体がそういうふうになってきておりますので、そういった意味で、だんだん大変な世の中に僧俗ともになってきておりますので、お互いに心の理解がないんじゃないかなと思うわけです。
例えば、ある時に比叡山の釈迦堂でいつも特別法話というものをいたします。比叡山でお坊さんが1時間真剣に説いてくれるのであれば聞きに行こうという中学校、高校が増えてきております。また一般の人たちも特別に聞かせてくれとおっしゃった時に私どもが、
「それじゃ○月○日に参りましょう」
なかなかそういうことに出て行こうとする坊さんがいないのですけれども。
それならばお邪魔しようということで、ある時に静岡からお越しになった大きな一般の団体でございます。これもちょっとお聞きいただきたいのは、おそらく、その引率者は教育長のOBか校長先生のOBだったと思っております。1時間、話をいたしまして、もちろん「一隅を照らす」と「己を忘れて他を利する」、そしていろんなことを含めてお話をいたしましたら、最後にその方がこうおっしゃった。
「ありがとうございます」
そこまではよかったのですが、
「お坊さん、悪いけれども今までの話をあなたに全部返します」とおっしゃった。
皆さん、どうです?。痛烈なパンチですね。だから若手の僧侶に言うんですよ。
「あなたたちはいいか、人前でいろんなことを喋らさせてもらったならば、必ずこういうことが返って来るぞ。心して話をしなきゃだめだぞ」
ということを私は若者に言うんですけれども、なかなか若い布教師は実感として感じてくれません。
私はそこでどう言って答えたかというと、
「ありがとうございます。我々の中に確かにあなたのそういう通りのお話があるかもしれません。けれどもあなたは不幸なお方ですね」
と私は切り返したんですよ。これはお寺さんに是非お聞きいただきたい。
「あなたは不幸なお方ですね」と言いましたら、
「はっ?」と言われたんです。そこで私は、
「あなたと私は初対面なんですよ。たまたまあなたの回りのお寺さんが、どうしようもないナマグサ坊主だったかもわからんけども、それを即、私をも含めておっしゃることは、ちょっとおこがまし過ぎませんか」とお聞きしたら、さすが校長OBか教育長のOBでしょう。顔色が変わりました。
「ハッ」
もうそれで、ああもうこれでわかっていただいたなと私は思いましたら、ご丁寧にお詫びをなさいました。
「ああ、よくぞおっしゃっていただいた。今の今まですべての坊さんがそんな者だと思っていました。大変ご無礼なことを申し上げました。以後謹みますが、そういうお坊さんが多くおられますね」
とおっしゃったことは確かです。これはもう我々の大事な大事な宝物をいただいたと思っておりますが、やはりこのようにして聞く耳を持つということはとても大切なんですね。現在、根本中堂におりますといろんな団体がみえます。特に生涯学習とか老人クラブ、老人会とか何だかんだという会は凄まじゅうございます。そこに喜びがないんですね。感謝の心がないわけなんですね。この会場は引く手数多のようでございまして、今日お取りいただくのに、皆さん方、関係者に大変ご苦労いただいたようでございますが、そういったことも隠れた一つのご苦労ですね。
だからみんな今もそうなんですよ。生涯学習センターだとか老人のいろんな施設、センターの所長さんなんかがおっしゃるのは、みんなお越しになる中で感謝というか、お陰様でという心が本当にないというか、当たり前という感覚ですべてが進んで行きますということをおっしゃっていました。まあ、見事にわがままな団体が来ます。そこで私はもうピシッとお願いするんです。例えば比叡山の根本中堂までお越しになるのにバスを降りてかなり距離があるでしょう。坂道があってね、そうするとね、100人のうち80人位が、
「よう歩かす所やな、ほんまに」と皆ブツブツ言うんです。
私は時々坂の上でおりましてね、二宮の写真屋さんと話をしながらそれとなく観察しているんですよ。ちょっとわがままな団体客が来るとね、
「和尚、この坂降りたら上がるんけ?」と、こうおっしゃる。大体訪ねられるんです。私はへそが曲がっていますのでね、
「いや、戻らなくて結構ですよ、谷の底へ真っ直ぐに行かれたらいいですよ。その方が家族が喜ぶんじゃないですか」と言ったら、
「ハッハッハッ・・・、一本参ったな」と言われます。
ほとんどはそんなわがままなんですよ。それはテレビを見たらわかるでしょ。昔はヨッコラショでチャンネルをガチャガチャガチャとやっていましたよね。よく故障するし、いちいち邪魔くさいがやっていた。今は座ったままでみんなできるわけですよ。そして何と言っているかというと、「腰が痛い、足が痛い、膝が痛い」と言っているんですよね。だから私は開口一番いつも根本中堂で言うのは、
「こんなに健康で元気な身体をお父さん、お母さんから頂戴している。感謝しないとバチが当たりますよ」と言うんです。
また次に、これをお願いしているんです。
「食事の時に『いただきます』と合掌して言ってください」とお願いします。
私はわかりやすく表現するんです、今の中学生や子供達にね。「いただきます」と何で言うか。
「あらゆる命をいただくんだよ、あらゆる命を犠牲にして我々が成り立っているから『いただきます』と、こう言うんですよ」と。
こうして言っていたらね、中学生が、
「和尚さん、たくわんって命ありませんね」と質問してきました。
本当ですかね。
「たくわんの元は何だったの?」と尋ね返すと、
「大根、大根・・・」と言葉が返ってきました。
それやったらわかっている。
「大根だろ。たくわんに命がなかったらカイワレくらいで終わるのじゃないかな」
と、こう言ったら、
「うん」とこううなずいたんですよ。そして
「そうだろう。大根は立派な命があるからこんな大根になったんだぞ。だから大根一つ、なすび一つ、さつまいも一つ、カボチャ一つ、魚一匹、牛一頭、みんな同じ命じゃないかな」と言ったら、みんなが「うん」と言ってくれたんですよ。
この話はね、群馬県に渋川というところがあるんですよ。その渋川には真光寺という、都筑玄妙大僧正ゆかりの、その息子さんが跡を継いでおられるお寺がございます。その横に渋川中学校というのがあるんです。そこに高橋という校長先生がおられます。6年前に、その方がある学校の教頭時代に根本中堂で話をする機会があり、それ以来、昵懇(じっこん)になりました。高橋先生が校長になるということになって、「真嶋先生、ぜひ、お話をお願いしたい」と言うんですよ。
渋川中学校の皆さんが比叡山に修学旅行で来られて、お祈りするんですね、根本中堂のお薬師さんに向かって。学校の名前をあげて、身体健康、学業増進、そしてこの旅行の安全を祈ってお薬師さんのご真言をお唱えして、そして改めて「おはようございます」と言うんです。そう言いましたら、140〜150人おりましたかね、挨拶返ってきたのが校長先生の声だけなんです。そんな状態です。
だから皆さんのご家庭も同じことが言えるわけです。挨拶、おそらくなかなか交わしていないと思います。それでもう皆さん方も諦めておいでになっています。これを諦めずに、返事を期待するからダメなんですよ。返事は要りません、もうないものとお願いします。ただ、それぞれの心に必ず響いております。これをぜひお願いしたいのです。ということは、皆さんがお互い小さい頃に学校から帰ってきて、例えば小学校から帰ってきて、「ただいま」と言って帰ってきたとするでしょう。まず何を期待するでしょうか。お金ですか、おやつですか。そうじゃないでしょう。やさしいお袋さんの「おかえりなさい」の一声じゃなかったかなぁということをお考えいただけたらということを、あらゆる人に根本中堂で時間があったらお願いするわけです。ということはどういうことかと言ったら、私は要するにこれ、お袋だと思うんですよね。これに尽きるんじゃないかなと。
これから世の中をよくするのも悪くするのも、お母さんでしょうね。お袋はやっぱり苺(いちご)のイメージでしょうね。これは今の世の中を象徴しているんですね。クサカンムリに父は「艾・もぐさ」とも読めるそうですよ。シケって、使いものにならなくなったと言われているんですがね。これは大いに使えるようしていただいて、地震、雷、火事、親父、やっぱり一番大事なのはオヤジです。父親への畏敬の念、これを是非お願いしたいと思います。世の中から畏敬の念が少しずつなくなりつつあるということが、世の中を根底から揺るがした。例えば学校の昔の子供の歌でもですね、「ちいちいぱっぱ」を歌った時に「鞭を振り振り」と、こう歌うじゃないですか。ご年輩の方はおわかりいただけると思いますが、「鞭を振り振り」というのは、例えば四国の愛媛・松山の道後温泉はここだよと言って、四国の地図の中で指し示すことだったけれども、いつの頃からか叩く鞭になってしまったわけですよ、解釈がね。どうしたかというと、私はメダカの学校になってしまったから、ダメだと言うんです。誰が先生や生徒やらわからんようになったわけでしょ。だから根底から揺らぎだしたのが現状ではないだろうかということなんです。
だから、根本中堂で「一隅を照らす」という説明の時に、
「根本中堂は総ケヤキ作りですよ。一抱え半のあの柱が76本ありますよ」と。
また、「この柱だってここだけですか」ということをよく尋ねます。縁の下にあり、天井裏にある、だからこそ、この大きな屋根を支えてくれるじゃないかと。「一隅を照らす」ではやはり、そういう表現で私は「POST OF BEST」、ポストにベストを、与えられた場で最善を尽くすという教え、これはもう素敵な教えでございます。よくこのお言葉を伝教大師様が残されたなと。私どもはお大師様の残されたいろんな素晴らしい教えや、素晴らしい実践の跡を振り返りますと、文字通り一隅を照らされた、そういうお方だったということは確信が持てることですね。
そういったことも含めて、子供たちが、「和尚さん、たくわんに命ないでしょう、ネッ」とこう言われた。そして結局何を言わんとしているかと言ったら、要するに導いてもらうということが一番大事なんですよ。
そうしたらこの高橋という校長先生が帰られて生徒達の感想文をくださいました。御礼の電話を入れましたら、
「真嶋先生、学校で偉いことが起こったんです」
「えっ、しまった。失言したかな」
今よく揚げ足を取る人がいますからね。これはやばいこと言ったかなと思ったらそうじゃない。修学旅行から帰りまして明くる日から給食がありました。そしたらその給食での出来事です。給食担当の責任者が校長室へ飛び込んできたんです。
「校長先生、修学旅行で何かありましたか」と。
何が起こったか。
「残飯がなくなったんですよ!」
「残飯がなくなった!?」
我々がお願いしたら、これはいけると、あらゆる場所でお願いしたらいける。子供たちにこう言ったんですよ。
「食べ過ぎて死んだ人はいくらでもいる。一週間、水で持つんだからどうぞ遠慮なしに。もし食欲がなければ、一食抜きなさい。次がおいしく食べられますよ」
というふうに子供たちにお願いしたんです。
「残飯を残すとあらゆる命がもったいない、無駄になってしまうし、それが水を汚すよ。全部土地を汚すよ。やがて地球全体を汚しますよ」と、こう言ったわけです。それをみんなが聞いてくれたんです。何かものすごくうれしくなりました。それ以来子供たちが来ると、時々その話をさせていただいております。だから伝教大師様の「一隅を照らす」という教えは有り難いことだなあと。私はいつも、「次の世代も生水が飲める国であっていただきたい」と、根本中堂のお薬師様にお願いいたしております。そう言って、お年寄りのお越しになった方々にお願いしております。老人会、生涯学習の人々の会等、すべての方がともにうなずいてくださいます。だからお経の『法華経』の一節を言うことも大切ですが、それよりも現実の中で今どういうことが行われているか、どういうことを求めておいでかということを、やはり私どもができるだけ種々の社会情報を聞くということしかない。今朝もお迎えいただいた方にちょっと喋っていたんですが、私、朝7時10分に比叡山の上を出まして、7時半に西大津の駅へ、そして京都へ山科で乗り換えて、新大阪まで行ったんですが、袂(たもと)がちぎれるくらい超満員です。ああいう世界をうちの若い住職たちに見せてやりたい。夜の8時、9時まで大阪で話をさせていただいて帰る時に9時に大阪駅を乗っても比叡山坂本まで立ちっぱなしでございます。これくらい一般の方々は汗水流し、疲れ果てながらも懸命にご精進をいただいているという姿を、やはり、住職、寺庭婦人のみんながもっともっと理解していかなくてはいかんと、私はやかましく言います。そんなことは先刻承知だとおっしゃるかもわかりませんが、釈迦に説法で恐縮でございます。


○幸せの4条件(仕事、家庭、祈り、趣味)
さて、一体幸せって何でしょうか、幸せって。これは檀家さんの皆さんもお寺の皆さんも一番よくご存知だと思うんです。私はやっぱり励む場があるということ、励む場があることはどんなに大事か、私はこう思いますね。
例えば今の255世渡邊恵進天台座主猊下は大変お元気でございます。今日、ハワイ開教25周年のお祝いから今晩関西空港へお帰りでございます。毎日、連日ですね、89歳ですか、もうやがて90歳におなりになります。まさに毎日が激務でございます。激務だからこそ矍鑠(かくしゃく)としておいででございます。ねっ、やはり励む場があるわけでございます。
私は思うに、これからお寺の存在価値は、高齢化社会における心の癒しの場を提供することでありたい。要するに信仰を持つ人はこれからはやはり慈悲、慈愛だと思います。もうそれ以外にない。お寺の仕事で一番大事になってくるのは、やはり高齢化対策ではないか。これは当然、介護の問題になってくる場合もあります。今、「人」というのはですね、これからの時代は「ノ」ですよ。もう「人」という文字通りの、この持ちつ持たれつではないんですよ。元気な人が弱い人を支える、これは当たり前の話です。しかし、それができない。皆さん方自身、我々自身が各家庭において気を遣うことを嫌がりだしたんじゃないですか。面倒くさがりだしたんじゃないですか。これはお認めになるでしょう。だから大変なんです。京都駅の裏に500室のホテルができたんですよ。毎日100パーセントの稼働率なんです。ホテル戦争でどこともお客さんがなくて四苦八苦しているんです。けれどもそこは100パーセント、空き部屋がない。全部シングルなんですよ。一人部屋なんです。だから満杯なんです、多少宿泊費も安いけれども。
子供たちの児童心理学を勉強している建築設計士が広島においでなんです。その人がおっしゃった。
「それぞれの家を、例えば直すなり、建て替えたり、いろいろする時に、子供が親と顔を会わさない部屋を作ってはいけませんよ」
とおっしゃっているんです。これはもう誰もが認めるんです。けれども99パーセント現実に注文があったら、結局2階の一番いい部屋とかは全部子供最優先なんですよ。今の生き方、暮らしの場というものがどんどんなくなっていきます。皆さん方も息子が結婚する、娘が嫁入りする、また養子を迎える、いろいろする。その中で一緒に、めんどくさいから、マンションを借りようと言って、ほとんどそれなんですね。だから昔みたいに家の中で声を掛け合い、団らんをするということも、それすらも、もうなくなってしまった。これは一つぜひお認めいただいて心していただかなくてはいけない。それが仏教でいう一番大事な慈悲、慈愛に繋がっていくんじゃないでしょうか。そうするとやはり仕事ということは、頑張れる場がある。日本人は、日本民族は非常に勤勉実直、そういう真面目な民族ですから暴動というものは起こさないと思いますけれども、例えばインドネシアとか、韓国とかあらゆる所が大変ですよ。もうまさに、政情不安もいいところなんですね。それは何かと言ったら、徐々に日本もこうなってきておりますが、失業率がものすごく上がっている。だから沖縄の県知事選挙もそうだったのと違いますか。これに触れるとまた障りがあるんだけれども。
結局、今度の沖縄県知事は失業率を出して、理想の絵に描いた餅よりも現実だとおっしゃって、結局大田知事は辞められた。うまく利用されたとおっしゃっているけれども、やっぱりそういう現実なんですよ。そういったことを含めて幸せの一番の条件は、仕事がある、すなわち励む場があることではないでしょうか。
そして次に私は家庭じゃないかなと思います。だから私等の年代はいい時に生まれたんじゃないですか。60歳以上の方、そう思いませんか。「おーい」と言ったらお茶が出るでしょう。違いますかね。今の若夫婦はなかなかそうはいかんでしょう。
「おーい、すまん、お茶を入れてくれ」
「あなた入れたらいいでしょう」
「そんなん言わんと・・・」
「私も働いていますけれども!」
「すいません」
とこう言わざるを得ない。これは極端な話ですが、そういうふうになっていくんじゃないかなと思うんですね。あるお方は「らしさ」といったら、もう差別用語だと言うんですよ。男らしさ、女らしさと言ったら、もうそれは差別だとおっしゃる。そしたら何を言ったらいいんだと私は言いたい。坊さんらしさという、「らしさ」がなくなれば私たちの世界は終わりですよ、と私は言うんです。なかなか凄まじい世の中になってきておりますので、もう後は家庭しかないと、こう思うんですね。要はそれしかないですね。その家庭の中心はやっぱり母親ではないですか。それが幼児虐待だとか大変ですね。だからいろいろとわかるのは団塊の世代と言って50〜60歳の人達ばかりで、それから下はもう時代が違うんです。それでみんな解決しようとするから大変ですよね。やっぱり伊達にお年を取っていないはずです。大事な生活を通して、体験を通しての味のある教えがあるのだから、それはやっぱり伝えていただかねばいけません。ある時は若造に向かって苦言を呈していただかなければいけない。それをあえて謙虚に聞く耳を持つか、持たないか、これは事実でございます。
ところが一億総評論家で、あらゆる人が言いたいことを言っているわけです。一国の総理大臣をなぜ罵倒するんです。とにかく各家庭の中で平気で行われているはずです。「ほらほら、○○ちゃん、遊んでばっかりいてたらお父さんみたいになるよ」みたいな会話が平気で交わされているはずです。いかがですか、みなさんのご家庭はそうじゃございませんですか。信仰のある家はそうではないと思うんですけれども、ややもすれば大勢に流されますから、そういったことが、普通一般の家庭の会話になってきてしまっているんです。これはもう認めて、再スタートをしていかなければいけない。その中心は一も二も私はやはりお袋だと思います。母親だと思いますね。根本中堂で私は一生懸命に「お袋」を言うんですよ。
「お袋さんが、健在ならば大事にして下さい、もっと大事にして下さい。もしお見送りなさっているのならば、お袋の生き様をもう1回ここに戻さねばいかん。もう1回お袋の導きをここに入れてもらって右へ倣いしてもらったら、もう一度世の中よくなる」
と言ってお願いしているわけですが、いかがなものでございましょうか。これしかないと思います。もう学校教育を無視します。社会全体がもう冬でございます。だからそれぞれが一隅を照らすということは何をすればいいか。私は「生ゴミの処理させて下さい、子供たちに便所掃除をさせて下さい」とこうお願いしているんですよ。お孫さんに便所掃除をさせてやって下さい、イヤだと言ったならば、便所を使わさなければいい。水の有難味、紙の有難味がわかっていないわけです。今、比叡山にお越しになった都会の人が一番困るのは何だと思われますか。汲み取りの臭いですよ。汲み取りの臭い。先だっても瑠璃堂と言って、織田信長の焼き討ちで唯一残ったお堂が黒谷の青龍寺へ行く手前にあるんですね。釈迦堂からドライブウェイを渡って、そして黒谷青龍寺へ着く手前に瑠璃堂がある。その横に正教坊という小さなボロボロの建物があります。そこに浄土院での12年籠山1期を終えた北澤宏泰師という律僧がおられるんです。彼は比叡山を下りずに、もう1期するといって24年に挑戦しているわけです。彼が瑠璃堂横の正教坊という所で今もやっております。猫の額のような所に田畑を作って、そして茄子を植えたり、カボチャを植えたりとやっております。非常に一般の人から言えば変わった坊さんだというんです。変わっているから24年居れるんでしょうね。2期挑戦しようという気があるわけですから。だから彼の所へいろんな人達が行きます。ある大手の企業の部長が一週間泊まらせてくれと言うんですよ。
「あの場所は大変ですよ。2日、3日ではないんですよ」
「いやー・・・」
その人は自分の立場上、正念場になっていたわけですね。それで見事に5泊6日なさったんですけれども、感想をおっしゃると、
「入ったその日に大きなショックを受けました」
ということは、北澤律僧はお客さんが来て、便所がいっぱい溜まってお釣りが来たり、いろいろするといけないものですから、お越しになるまでに、その猫の額のような畑に肥を汲んで撒かれたわけですよ。その臭いが最初にドンと来たわけです。それが最後まで取れなかったようですね。神経がズタズタになるくらいに大変なことのようですよ。
今は、もう贅沢が当たり前で、何でもかんでも当たり前。けれどもお袋さんは、そんな快適さに適応した、そんな時代ではないでしょう。暑けりゃ1枚脱いで、寒けりゃ1枚着たらいいんだよ、と言って教えたはずですけど、それが寒ければ暖房があって当たり前、暑ければ冷房があって当たり前。それがすべてを悪くしていくわけじゃないですか。だからそういったことを含めて家庭のいろなんな導きというものが非常に大事だということですよね。お互いが空気のような存在であって、そしてお互いが支え合って行けば、最高の幸せでしょう。
昨日の夜の9時にですね、テレビのスーパー何とかという、情報最前線、関西の方では6チャンネルですが、銀行マンの介護の問題が出ていました。元銀行マン、トップ企業のかなりの所へ行かれた人が職を辞して、そして介護にまわられた。それより先にNHKが何回か取り上げている問題があります。これも皆さん、ご覧になった方があると思います。高校1年の、おばあちゃんに育てられた女の子が一目散に学校から帰って来るんですね。そのおばあちゃんは、お孫さんを待ちかねた表情ですね。そうしたら、そのお孫さんが笑顔でもって、
「おばあちゃん、お口をアーンと開けて・・・」
とスプーンで食事をさせるのです。
「そのおばあちゃんの顔を見たらホッとします」
と彼女はうれしそうに言います。彼女を育てたおばあちゃん、お母さんは偉いなあと思うんです。
思わず、これだ、世の中これじゃないと、もう直らん。
どうぞ皆さん、お寺の奥さん方、お檀家さん、これからは介護の問題が中心になっていくのではないだろうか。基本はいつも言うんですよ。
「口から入って、お尻から出る」
ここから入れてここから出るだけでも、これだけ通るだけでしょう?。これをどう感じるか、どう考えていくかですね。これは大概寝たきりになったら、排泄の問題が大変なんですね。
「言うは安しで、まさに行うは難し」です。実際はなかなか大変だけれども。
だからこれからの介護問題はものすごい問題であるということです。これは時間があれば、私は自分の懺悔を含めて話をしていきたいと思いますが、順番に片づけて行きます。
例えば、袂(たもと)からハンカチが出てまいります。1枚では万が一、恥をかくといけないので、もう1枚、これは洗っております。「ご苦労さんです」と、毎日こうして送り出してくれたら、やはり有り難いですね。なんとかやってくれてます。これが当たり前くらいに私は思っているのですが。だから男はかなりワンマンで言いたいことを言い、したいことをしてきたわけなんですけれども、所詮はお釈迦さんと孫悟空の問題じゃないかなと。悟空がいくら威張っても、やはりこの手のひらの中じゃないかというふうに適当に慣らされていますね。
こういう家庭でまたいいと思う。ですから、いかにいい、仲のいい、持ちつ持たれつの。なぜに昨日の9時のテレビ番組の問題を取り上げたかと言ったら、その1人の企業マンはですね、今まで家庭の「か」の字にも触らなかった。それに娘がテレビで報道したことに対して非常に怒ったわけですね。「母親のそんな情けない姿を、お父さん、なぜテレビでしないといけないのか」と言って、いろいろ葛藤があったようですが、お父さんは本当に立派に介護なさる。あれを見ていたら涙は出るし、そんなことを私ができるかなと思うくらいの話でございました。
皆さん、やはりこれから問題になるのは国がするのではない、地方自治体がするのではない、やっぱり家庭の中でお互いがすべきだということを、今日ね、いろんな檀信徒の総会等で質疑の機会があれば、そうしたことに対してお願いできないだろうかというのが、正直なところの私の希望、要望でございます。
3つ目は当然、祈り。私は、一般の、本当に神仏というものに手を合わすということに関心のない人達にでも、祈りというものをぜひお願いしたい。根本中堂へたくさんの人がお越しになりますが、私は必ず手を合わせてくださいとお願いしております。
「一度、皆さん1分でいいですからお座りになって、中陣は一段上がっていますから、お座りになっていただきたいと思います。1分でいいですよ。そこでちょっと手を合わされませんか。そして身体健康と家内安全をご自身がお祈りになりませんか」
と言ってお願いすると、ほとんどの方が文句言わずに、すっとなさる。これはやはり日本の国の有り難さですよね。だから私どもの諸大徳、諸先輩方の大きなご功労じゃないかと思います。まだ50パーセント、60パーセントは仏教の国でございます。そういったことを含めると祈りというものは大切なものです。
「勝手な時に手を合わされたって成就しませんよ」と、これはもう脅迫みたいな言い方しますが、「そんな勝手な時に手を合わしてみんな成就するのなら我々何も苦労いたしませんよ」と言ったら、みんな苦笑いしながら、こう合掌されている。
これはやっぱり私は布教の1つだと思いますね。ところが、駐在布教でお越しになっている方々は、手を合わされるものだということを頭の中に入れすぎなんですね。
一般の人がね、「坊さんって、不思議な人やな」と、よくこうおっしゃる。これは住職だけに聞いていただきたい。
「ほんま不思議な人たちやな、みんなが信心があるみたいに喋らはる、普段はクソ食らえやのに」
我々はみんな信心、信仰があると信じてしまっている。けどそれは、そういうように身の範を示し、導いてから言えるものです。通勤ラッシュで渋滞に揉まれて生きている、その食うか食われるかの世界ですね。残業がなくなって、ローンを組んでいる人は大変です。まして今、企業では45歳以上全部リストラを受けるという命令が降りている企業はいくらでもあるんですよ。これは皆さんもよくご存知でしょう。我々の耳にでもそれが入るわけです。そして、いろんな交流を持っている人でも、自分自身が会社の責任役員で、今までキバレ、キバレと言った部下を、45歳以上の、それも500人の首を切れという。とてもじゃないができない。自分が会社を辞めなければいけない。けれども、ただ辞めるだけではいかにも悔しい。
「だから社長に向かって、ワシも辞めるから、あんたも責任取って辞めんか、ということを言いたいんですよ」
と、ぽろっとおっしゃった。それくらい食うか、食われるかの世界ですよね。そういった中でなかなか手を合わしたいけれども、なかなか手を合わす気持ちになれないとおっしゃるのが現実じゃないかということも、心しておかなくてはいけないと思います。
それから最後に、4つ目は、皆さん、趣味というものを持ってください。これは、幸せとはどんなかな、何をして幸せというかということを考えた時に、いろんな人たちにお願いしているわけです。
それともう一つ大事なことにちょっと触れますと、やはり、しつけの問題からどういうふうになっていくかというと、無作法ということはどういうことか。豊かさと、便利さと、速さと、これが問題になってくるんじゃないだろうか。まだ豊かさが要りますかということなんです。昔は「好好爺(こうこうや)」という方がおいででございました。とってもきれいな活発的なおばあちゃんがおいでだった、おじいちゃんがおいでだったということを、皆さんご体験があると思います。今はなかなかいないわけですね。それくらい世の中が厳しくなっているといえばそれまででしょうが。一体、何でだろうかということを考えると、やっぱり老人問題、介護の問題、また国の政策の問題、一体いくらお金を持っていたら、一体いくら残したら老後は安泰だということになってくるんじゃないだろうか。そうすると、いやでも厳しくなって行くんですね。
昔は「おばあちゃん、荷物を持ちましょうか」と言った時に「恐れ入ります」と言ってポッと渡されたじゃないですか。この頃あんまりできないですね。道服を着てりゃいいですけどね。それでも疑われるかもわからないですけれども。
普通、背広とかいろんな形で、「ちょっと荷物持ちましょうか」と言うと、まず品定めされてね。だからうっかり親切もなかなかできないんですよ。放っておいてくれという方が多うございます。盗られてなるかという方が多うございます。これはもう現実ですから、なかなか簡単には復興はできないんです。けれども、どうぞお互い考えましょう。仲間がまだ必要なんだ。これはもう、やっぱり世の中、人間が一番悪いんですね。サファリへ行っても皆そうです。ジャングルなんか行ったら、皆そうでしょう。ライオンがお腹空かしておりますと、弱い動物を捕らえ食べますが、お腹が膨れると一応それ以上は捕らないじゃないですか。
ところが、人間の欲望は際限がないでしょう。これだ、もうここでいいという人が。今日ここにお見えの方は、大体もういいと言う方が多うございますから、安心していられます。それはもう欲望というものは際限がないですから。どうぞそういったところを心得ていただけたら有り難いかなと思う次第でございます。
今日みんなお越しになって、元気な身体で幸せじゃないですか。上見りゃ切りがない、下見りゃ切りがないですよ。こうお願いする時にね、なかなか、「そうはいかん」てもんでね。これは後ほど、六念というところで触れさせていただきます。
あとは便利さ。先ほどテレビのことを言いましたが、次に企業は何を考えているのでしょうね。私は洗濯機の中に何が入るかよくわかるのですよ。ロープ入れるわけにいきませんかな。ちょっと端を引っかけて、ワンタッチでね。そしたらシューッと順番にロープに、洗われた下着類が接着し、シューッと順番に延びていってね、後は何にもせんでいいじゃないですか。だから、そこまで便利になって、その空いた時間をどうするかと言ったら、結局ただダラダラ過ごすだけでしょう。だから便利な面をもう加えなくていいんじゃないかと。
今日、JRに乗りながら、大阪まで毎日一杯の、あの快速電車がどれだけ重量の制限というかテストをしているんだろうなぁ、レールの上にあれだけの超満員の人間が乗って。おそらく体重60キロ平均あるでしょう。それがもう数え切れないくらい、定員オーバーの状態でしょう。2倍、3倍と言うんですものね。線路もギシギシいっているじゃないですか。ちょっと揺れると何か全体が揺れるような気がする。あれごとボーンと行かないかなという、新幹線だってそうですよね。ドイツかフランスかで大事故があったじゃないですか。やっぱりボチボチスピードというものも心しないといけないんじゃないかなと。
速さの問題もそうだと思うんですよ。だから便利さと、速さと、豊かさをいつまでも追い求めていると、今のまさに時代である自己中心、自分さえよければいいということ、これを止めないと、抑制しないと、良き社会はできませんよね。
ただ、体裁でいいことを言っているんじゃないんです。ドーンと、この貪りを押さえるということは、非常に大変なことです。それが、みんな当たり前になるから、みんな利己主義になって行きますよ、ということをお互いに考えて行かなければいけないのではないかなと思います。


○伝教大師の六念
次に六念の話に行こうと思います。
この六念は、253世天台座主の山田恵諦座主猊下がよくおっしゃったことでございます。山田座主猊下は、
「ともかく拝め」と、こうおっしゃいました。
私は若い時にショックを受けたんです。いかなることも拝めば解決する、と言うんですね。親鸞上人の「悪人も導かれる」というのがありますけれども、言葉を換えれば、一緒になっていくのかなぁ。
「拝めばすべての罪障が消滅する」
「それは本当ですか?」と言ったら、
「本当や」とおっしゃった。
今、拝む立場に立ってみると、「そうなんか」というふうな、おぼろげながらわかりかけてきました。毎日拝んだ後に、これを心しなさい、これを念じなさいと言って、住職方がお授戒を受けて、渡されるのがこの六念なんです。その六念は一般の在家の方にも、有用な教えだと思いますので、いつもそっと私が話をさせてもらうんです。
伝教大師の六念、これはですね、一念といって「念」は思うと読んでもよいということですね。
1つ目が、今朝若干日去布薩(こんちょうじゃっかんにちこふさつ)。
とにかく、反省せよということです。まず、毎日反省しましょうということなんですね。私どもはややもすれば、忙しい、忙しいと言ってその日その日の反省をせずに平気で過ごしているわけなんですが、必ずお勤めの後にこれを心しなさい、まず反省しなさい。反省するから進歩がある。反省をしなければ進歩はありませんということなんですね。
2つ目が、食僧常食若有請者請(じきそうじょうじきにゃくうしょうしゃしょう)。
これは、食(じき)という字が何かなと。昔から食べ物の恨みは恐ろしいと言いますね。それと同じです。「食」というところに丸をしていただければ、内の食事か、外の食事か。これが内の仕事か、外の仕事か。時間をしっかり守って、感謝の念をもって心せよ、ということなんですよ。たから「食」というのは、これはやっぱり托鉢から来ているんですね。
これは日本の托鉢とはまた違うわけです。例えば、今、政情不安であるミャンマー等、東南アジアの仏教国は皆そうですね。特に小乗仏教と言うんですが、毎朝、三衣一鉢(さんねいっぱつ)と言って、鉢があって、僧侶はその鉢にご供養を頂戴する。
それは自分以外にお堂で掃除している者、またお勤めをしている者、修行を続けている者の分を頂戴したら、それで「有り難うございます」と言って終わる。余分なものをできるだけ持たないようにできているのでございます。
事実、昔から食事の問題というのは、非常に厳しいわけなんですね。だから何のために食事するかということを常日頃から心しておかなければいけないわけでしょ。
ともかく、時間をしっかり守って、約束をしっかり守って、家でも皆そうじゃないですか。特に檀信徒の皆さん、それぞれご活躍いただけておるわけですが、例えば家に帰ってですね、せっかく心のこもった料理を奥様がお作りになっていて、
「お食事をどうぞ」と言ったら、
「もう済んできた」
これほど残酷なことはないわけでしょ。だから、「明日から作るか!」ということになっていって、今日の時代になっているわけですよ。これは、仕事の出かけに「今日は要らないよ」と言ったら随分違うわけですよね。よく根本中堂にお越しになった団体を見ておりますと、根本中堂でお話を聞いていただいてお帰りいただき、京都か大津かどこかの温泉で泊まる団体のご夫人のお顔は生き生きしておりますよ。その日に帰る団体はもう現実に戻ってだいぶん顔が険しくなっております。見たらわかるんですよ。
「あっ、今晩お泊まりでしょう?」
「何でわかりますのやろ?」
「笑顔が出ておいでです。今晩、上げ膳据え膳でしょう?」
「うん、そうですよ」
「もっと有り難いことに、後片づけをしなくていいでしょう?」と言いますと、
「ワハハハッ」と皆笑っているんです。それくらい現実にお顔に表れるんですね、人間というのは。だから、食事というのは毎日のことですから軽視できないことです。
私の場合でも、喋るというのはお腹が減るんですよ。根本中堂で拝んで、お経を大きい声で唱えるでしょ。大きい声で唱えるとお腹が減るんですよ。それとそこへ大きな団体が来たら、お話をするものですから、結構お腹が空くんですよ。帰ったら「腹減った」しか言わないんですよ。
ジャガイモが好きですから、私は大体、機嫌が悪い時は、肉じゃが、野菜、ジャガイモの煮付けとか、ジャガイモのサラダとかが食卓にあったら機嫌がよくなるのです。「何年、嫁さんしているのか。何年、寺庭婦人しているんや。旦那の疲れた顔とか、辛いときの顔とか、喜びの顔とかわからんか」と私平気で言うんです。そしてすぐに「死んでしまったら」と言うんですよ。口癖なんですね。「それだけは言うな」と小林隆彰前執行にも言われましてね。「おまえは嫁さんでもっているのに、それだけは言っちゃいかん」とよく言われるんですが、「もう口癖だから、慣れておりますから」と、うちの連れ合いは笑うんです。けど、心の中では悪いなと思っているんですが、皆さんもそういうことがあるんじゃないでしょうかね。
そういうことも含めて「食」というのはものすごく難しいものなんですね。どうぞ、お互い心してお願いいたしたいと思います。
3つ目が、見菩薩比丘戒未有(けんぼさつびくかいみう)。
これは、戒というのがありますから、戒のところに丸をしていただければいいわけですね。最低限度の社会のルールを守ったらいいわけですよね、お互いがね。これがなかなか、できないわけです。だから皆さんをお育てになったお袋さんは、例えば四国で言いませんかね。お隣り三尺ですよ、とよく言ったと思うんですよ。お隣り三尺。尺と言いますから、古いことは、もうおわかりでしょう。要するにお隣の三尺は、掃き込みなさいということでしょ、掃除の時に。これはお袋さんが教えたはずです。
「お隣三尺だよ。お隣の三尺分は掃き入れなさいよ」と。
今は、ゴミ戦争ですから、キョロキョロとして見回して、お隣へ掃き出したりして。そして、偉いことになるんですよ、今は。わざわざチリトリに入れながら川へ捨てるなんて平気です。特に落ち葉の頃は大変ですよ。
また、ペットブームですから、犬の散歩でも同じことなんですよ。この頃ね、だんだん悪質化しているんですよ。大概は、こう、ビニール袋を持っているでしょう。あれ、携帯だけの人が多いでしょ。よく注意されるとね、「ちゃんと用意しております」と。けれども、後をよく見ているとね、使わないんですよ。平気で行く。だから言われた時に言い訳ができるように持っている人がいるんですよ。これ、どんどん増えてますよ。比叡山でも同じようなことでもめているんです。だから私は目にすると、
「持ってきたゴミは持って帰って下さい。最低のルールですよ」
とお願いするんです。特に、この頃、土曜日、日曜日が休みで、時間が余ってくるでしょう。そうするとハイキングにみえる人達が多く登ってくる。遊びですからマナーがよくありません。
これはどこのお寺とも皆そうだと思うんですよ。その人たちはね、歩くことに意義があってね、お寺の前に来てたって、手すら合わさない。そしてゴミを散らかす。そこらでおしっこしていって、そして挙げ句の果てに、ちょっとうまくいかなかったら文句言って帰られる人がいる。本当に大変な時代になってきておりますが。
そういった時には、ちょっと皆さん方、最低限度のルールは守っていこうじゃないかということなんですね。だから「戒」というのは、非常に我々にも厳しゅうございます。我々の言う五戒、十戒だの、いろいろ含めてですね、守っていたら生きていけないくらいの話にもなりうるんです。それは最低限度のルールは守りましょうということで、いいんじゃないかなと思います。
4つ目が、三衣鉢具足受持長戒未説浄(さんねはつぐそくじゅじちょうかいみせつじょう)。
これは、三衣鉢、先程ちょっと触れました三衣一鉢。3つの衣と1つの器があればいい。これは非常に坊さんには厳しい言葉でね、だから知らず知らずに贅沢になっていませんか、ということなんです。知らず知らず、贅沢になってないか。「有り難いです」ということがわかればいいということですよね。
今はもう車社会でございますから、車のスピードを出したくてしょうがない。車がどうしてあるかを考えてくださいと。私の息子も車が大好きです。ただし、私の息子の車は、私の名義なんです。
「おまえの甲斐性では車は持てないぞ。親に感謝をしながら車に乗りなさい」と息子には言っています。
私は免許がないんですよ。なぜ免許がないかと言ったら、私は非常に気が短くて、6人兄弟の3人男の一番下なんですよ、一番やんちゃで。お袋がよく知っているんですね。
「産んだ子だけあって、やっぱりあの子にね、車の免許を持たすと友達といつもケンカしているんじゃないか」と言って、取らせてくれなかったからです。
私はルール違反がものすごく嫌いなんですね。今ほら、女性が車に乗られるとね、バックがなかなか苦手で、しかも突っ込んで来るんですよね。バックミラーとかいろいろなミラーを見る余裕がないんですよ。これはご年輩の方が運転なさる場合でも、ぜひ気を付けていただきたいということです。自分だけで精一杯で、どうしてもいろんな所へ迷惑をかけることになる。
「お前は死んでもええけれども、人様をひいたことなら即刻クビ」でございますからね。息子に言い聞かせております。これは公務員の方も、皆一緒じゃないですか。
ただし、この頃は皆さん、特に若葉マークの運転者にも注意してください。痴呆老人にも信号は関係ないですし、そういった時に予期せぬ所からパッと出てきたなら、跳ねてしまう。そうすると過失致死、殺人罪となるんです。お互い紙一重じゃないですか。非常に危ない社会になったかなと。だから朝晩、特に夜中、早朝に出なければなりません人達は特にご注意いただきたい。
車以外にも知らず知らずお互いが贅沢になってきたんじゃないかということをもう1回お考えいただきたい。1回というのはその都度、毎日お考えいただきたい。これは、乱暴な言い方をいたしますとね、確かに景気が悪いようです。当然四国も大変だろうと思います。そうしたら、すべて、お互い含めて、自分たちの生活水準が落ちていますか、ということを考えなければいけないですね。ちょっと辛い言い方です。知らず知らず贅沢になっているんです。私、根本中堂で平気で言うんですよ。本当に不景気ならば、芋のツルを食べたらいいじゃないですか。サツマイモのツルから食べ出したら、別になんでもない。その経験、体験の方は、強いんじゃないですか。皆さん身に覚えがあるんじゃないですか。ビクともしないでしょう?。それに戻れば何でもないと、私は言っているんです。私はそうして育ってきました。どうぞひとつ、そんなこと言う坊さんは珍しいかもわかりませんけれども、私はそうあっていきたい。
今は自坊をきれいにいたしました。今度息子に嫁をもらわないといけないので離れがようやくできました。瓦も直しました。それまでは本当に貧乏でした。
親父が53歳の時にひっくり返りました。親父は滋賀県の庭球のチャンピォンだったんですよ。梅山圓了天台座主大僧正とコンビだったんです。53歳の時に比叡山高校のテニス部と延暦寺が試合をしよう、ということになりまして、親父はちょっと気が優れなかったんだけれども、「イヤだ」と言ったんだけれども、負けそうだから、どうしてもすぐに比叡山上から降りてこい、と。それで、降りまして、小さな石につまずいて一巻の終わりでございます。戸板に乗って帰って参りました。これ事実です。私が小学校5年の時です。だから私は地元の坂本小学校出身ではありません。親戚の彦根に預けられて、そこで過ごしました。そこで10円の有り難みを教えていただきました。だから、今思うと、逆らわんとですね、良い体験をさせていただきました。さあ、そうして坂本に帰って来ました。帰って来ましたら、家が暗うございます。寺族を当時、認めない、本山のお寺さんは寺族だけが住むことを認めない。その上ご丁寧に親父には6人の子供がおりました。今も6人、健在です。その内の2人とも校長を終わって、元気に健在ですが。
私が、男3人の一番下が跡を取ってしまったわけですけれども、今、乗実院の内仏に、親父の写真と位牌、お袋の写真と位牌をお祀りして毎日懺悔(さんげ)しております。
私は大変親不孝をいたしました。3年住職して、3年経ってから、「住職を辞めさせてください」と言って、時の叡南祖賢師という大和尚が当時の延暦寺執行でございました。そこへ私のお袋を連れてお別れに行きましたら、怒られましてね。丁度、律院というところが、四国出身の内海俊照師、現在は叡南俊照師ですが、やっぱりきれいにして頑張って精進されておられますが、そのお堂のところです。ちょっと余談になりますが、その話に触れます。そこへお別れに行きましたら、
「よっ、偉いこと言うやないか。よし、ちょっと待て」
今までのお参りの方を、全部、帰らせてしまわれて、
「偉いことが起こった、スマン、今日はお帰りいただきたい・・・」
「明日の午前中も、堪忍してくれ。これはもう一回結論出さないといかん」
と、私の目の前で。
私は、大阪で姉が嫁いだところの電器屋を手伝うということで、もう名刺まで作っておりました。そしてお別れに行きました。そしておっしゃったことが今も忘れられません。
「何でお前が電器屋にならないかんのだ。坊さんの息子が電器屋になったら世の中、逆を行っているわけだ。電器屋の息子を坊さんにせぇ。それが世の中の道だ。逆流したら、ろくなことがない」
と、こうおっしゃいました。ちょっと年輩のご住職方は、叡南祖賢大和尚という方の風貌から、ご想像いただけるように、ちょっと近寄っても、思わず背筋が伸びるようなお方でございます。叡南祖賢師の命と引き替えならば、死んでもよいという人が、いくらでも当時おいでたんだそうですね。100人ほどの小僧さんをお育てになって、物のない時に比叡山の無動寺で千日回峰行をなさって、お米がまだ自由にならない頃ですね。お百姓さんがお供えを持って見えるんですね。そうして都会から来た信者さんたちがお参りになると、
「お前の所、米あるか」と聞かれるんです。あるわけないですね。
「おぅ、これ持って帰れ」
大変なことなんです。米櫃がようやくちょっと増えたなあと、小僧頭が喜んだら束の間でございます。今お供えしたものを次の人に持ち帰らせるのだから、この人のためなら命に替えても惜しくないという方が、わんさと増えるわけですね。
この叡南祖賢大和尚という方が、
「おい、真嶋。この現実を見てくれ。ワシ1人ならば、左団扇で贅沢できるんだぞ。ただ、何のために一生懸命になっているかと言ったら、本山をどうするんだ、延暦寺をどうするか。寝ても覚めてもこればっかり頭にある時に、お前、悲しいことを言うな」
ということなんですね。
「だから、何のためにワシがここまで頑張っているかということをお前に理解させなかったワシも悪いけども、正直言って、こういうことや」とおっしゃった時に、私は恐縮してしまい、もう、会った瞬間に「偉いところ来て、偉いこと言ってしまった」と思ったんですが、けどまあ若気の至り、26歳でございます。住職して3年目で、お留めいただいて、今日こうして居らさせていただけるというのも、叡南祖賢師という方の叱咤激励の賜だと思いますが。
そういったことで、非常に何が辛かったかというと、私はお袋が本当に苦労したということですね。だから着物1枚が食費になり、ダイヤの指輪1つが学資になってみたりというわけなんですよ。お袋がそういった面で6人をなんとか育ててくれました。けども、精根尽き果ててですね、もう首吊りをしなければ、これ本当なんです。
本山の中では、ちょっと違う坊さんです、私は。私はもう小学校5年の時から18年間、師匠が患い、寝たままの生活でして、大勢の方からいろんなお助けを頂戴しました。お手当が寺から出ません。保険もありませんから、何にもありません。だから私は小さい頃からお金の大切さをよく知っているんです。艾(もぐさ)とマッサージでお袋は親父をなんとか歩けるようにしておりました。ただ、指が短くても坊さんは昔はダメだったんですね。本来は指が短くても駄目なんだというくらい厳しい世界です。だから親父はもうこれで一巻の終わりです。そうするとお袋は6人を育てなければいかんわ、お金はないわ、疲れ果てるわで、父にぞんざいな言葉がやっぱり出ます。そうする時に我々もそれを聞いているわけです。そうするとだんだん親父というもののイメージがなくなる。親父がきちっとしてパリッとしているイメージ。そしてようよう小僧になって、私どもは直接山に行き、また新米の住職になって2年、3年と育てていただいている時に大きな法要があると、お練りに出られませんから、「真嶋さん出んでもいいで」とこう言う。どこからとなく声が出て来るんですね。
私の親父はお堂の中に入っているんですよ。そしてお灸やらのお陰で所作はほとんど間違いなくいけるんですよ。ただ、お練りには出ません、歩けませんからね、きちんとは。家に帰って親父に、
「あんなに言われて出んでもええやないか」ということをやっぱり言います、正直に。すると親父が悲しそうな、今思うと悲しそうな顔ですけど、当時は自分が正しいことを言っていると思っておりますから、
「本当、ワシは迷惑かけとらん。行列お練りもしていない。お堂の中で仏さんに対して間違いなく皆に迷惑かけずに拝ましてもらっている」
と言うんですね。
「けどもあんなに言われりゃ」と言ったら、「言いたいやつはどうしても言うのだから言わせておけ」とこう言うんですね。けれども親父に対する畏敬の念は少なくともありません。だから、父親には非常に苦労というか辛い思いをさせ、それ以上にお袋が辛かったと思います。
現在はその叡南祖賢大和尚にお留めいただいたので今日があるのですけれども。世の中で畏敬の念がないというのは、大変に悲しいことですよ、ということで、お袋の話、私自身の話、恥ずかしい話をついしてしまいました。
決して作って言っているのではないんです。だから親父の18年の闘病の中で、16年目くらいにお袋が精根尽き果てるので、「だれかないか」と、誰か助けてくれる人をというので、今の私の妻、連れ合いがおるんですが。親父が亡くなる2年前ですか、寝たきりですと、どうしても下剤を使いますのでね。下剤ですから時を待ちませんので、そのまま、私の連れ合いは有り難いことに、手で取ってましたね、やっぱり。新婚ホヤホヤで、これをやってくれたので有り難いなぁと感謝しましたよ。
まだ、これで終わりではなくて、これからが大事なことなんです。そこでいろいろお袋が恩返しをしておきたいというので、あらゆる地域の社会奉仕に今度は入ったわけなんです。これはおそらく、今私が想像するのに、京都の山科に一燈園という西田天香さんという方がおいでました。このお方は宗派を問わず、便所掃除から始められるお方です。当時、100円あったら100円の生活をしなさい、こういう生活をされていましてね。自分たちの委員会だの、仲間の中で、大津市の当時の市長さんの奥さんがやはり一燈園のご信者でございました。そういう影響を受けておりますので、辛いことがそれで消えていくんですね。
皆さん、公民館か市役所ができあがる時に、今でも引き出物がよく出るじゃないですか。ナイロンの風呂敷なんかをお袋がもらって帰ってきて、「帯が1本増えた」と言って喜びました。模様の良いところを小さなお軸にクルクルと包んでシャーッとできますからね。なるほど、こんなんが帯になるのかなぁと小さい頃にやっぱりそう思っていましたね。しかし最後は、よそ行きの着物が1枚は欲しいなぁということを私の姉に言っておったそうですが。
そういうことを考えるとね、当時、それだけ頑張って、自分たちで老人ホームを作ったんですよ。穴太(あのう)という所があるでしょう、比叡山麓に。坂本、松の馬場、穴太。その穴太という京阪電車の駅の上に老人ホームができているんです。当時、婦人会長をしていた御方が、OB6人で日本生命の保険外交員をして、そして自分たちで作ったものです。毎晩、地主に交渉に行かれて格安で譲ってもらったんです。穴太の一番の1等地の場所なんですね。そういう奉仕活動をしておりました。元気ならば理事長にでもなれるのですが、悲しいかな、私のお袋はその後アルツハイマーになってしまいました。
6年間、24時間。皆さんもご年輩の方も身に覚えがあるかと思いますが、6年間ですね、24時間、大変ですよね。1回も病院へ入れておりません。連れ合いが一生懸命に24時間体制で看護してくれました。丁度、私も行院とか居士林とか道場で寝泊まりが多い時でしたので、一切家庭のことには触れなかったのですが。
時々、比叡山より下へ降りますと、一番ショックを受けたのは、私のお袋がうちの連れ合いに「お母さん」と言って抱きついているんですね。そしたら「はーい」と言ってくれたんですよ。そして次どうしたかといったら、やっぱりですね、童(わらべ)に戻るんですね。まさにそれだと思います。チーチーパッパを歌い出したら一緒に歌ってくれるんです。その時は本当に童に戻った顔でしたね。何がうれしかったかというと、その光景を見て、
「はーっ、有り難いものだな、人の世話というのはなかなかできんけど」
ただね、悲しいことは、お袋が10のうち9つまで文句言って怒っているんです。人間て悲しいものですよ。それだけお世話をしてもらっているお袋がね、9つまでうちの者に文句言っているわけですね。朝ご飯も食べたことを忘れてしまって、近所に言いふらすんですよ、「うちの嫁は飯を食べさせてくれへん」とね。
そしたら怒鳴り込まれましてね。
「あんたの所の嫁は鬼か」とこう言うんです。当時は電話でもそうなんですよ。
「待って下さい、もしもし。今呼びますから」
とガチャンと受話器を降ろしてから呼びに行くわけですよ。
「あんたの家、失礼な家なや」と、よく誤解がありました。
まあ初期はそういう状態で、しかし私も最後は、ええことをしましてね。ちょっと早帰りしました時に、「留守番をお願いします」と家内が買い物に行きました。
「よし、わかった」
もうその時に私を息子とはわかりません、怖い人。1人ぐらい怖くないとですね、よそへ出て行きますから、怖い人を作っておかなければいかんわけです。ただ括りつけるわけにはいきませんので、
「よしよし、わかった、わかった」と言って、見張り役をしていましたら、ポトッと音がするんです。寝起きがよいように、これくらいの、もう少し高いベットにしていたのですが、落ちたんですね、ベットから。思わず部屋に入り込みました。
「あっ、おばあちゃん、落ちたの?」
「うん」とうなずき、
「上へあがるのか」と言ったら、「うん」とうなずきましたので、思わず膝を突いて、シュッと手を入れたらシュッと上がったんですよ。皆さんは、おわかりいただけると思うのですが、こうしてシュッと上がるくらいですから、文字通り、枯れ尽きていたわけですね。人間って恐ろしいと思った。噛むことも忘れます。飲むことも忘れます。まだ噛んだり、飲んだりする間はいいですね。だから、「おばあちゃん、飲むんやで」とこっちがやかましく言って飲ますんですね。
「膝をついて両手で抱き上げられるくらい軽くなったなあ、もう永くないなあ」と思ったら、1週間後でございました。それも私、間に合わなかったんです。根本中堂に居りましてね。慌てて比叡山上から降りましたら、もうすでに息を引き取っていました。本当に燃え尽きてますから、何にも出るものはないけれども、こんな大粒の涙が1滴がぽろっと落ちたというんです。大きな涙が。最期の喜びの、あらゆる感謝の涙だったと思う。これを皆さんにご理解いただいて、これからは本当にこういう問題がほとんどの家庭で起こるんじゃないか。だからこれからのご住職、または檀家の世話役、要するにケアの時代、心の癒しの時代だと言うんですよ。だから、神戸の震災の後でも、結局いち早く大事なことは、心の癒しということですね。それをぜひ皆さん、これからの時代はこれがすべてになって来るんじゃないかということを、私はお願いしようと思って今日実は来たわけなんです。
これからが一番大事な所になります。そこでですね、八塚実さんといって、30年間、中学の生物、物理の先生をされた人がね、自分のお袋さんがそうなった。夫婦で先生されていたんです。けれども結局、自分が介護夫になられたんですよ。そして生活しなければいけないですから、奥さんは先生をしておいでです。そのお方が『一生一度の学び』という本を出されています。このお方の歌をぜひ今日皆さんに聞いていただきたい。
「その昔 抱かれし母を 今は抱き 陽なたの窓に 春を見せたり」
これかなりすごい歌だと思いますね。この歌を皆さんに聞いていただこうと思って、今日は寄せてもらったんです。この歌がすべてじゃないかなと。この八塚さんはすごい方だなと。私は逢っていないのですが、思うんです。自分が先生を辞めてまで介護する、この人は自分の生みの親じゃないです、育ての親です。育ての親に、なおかつ、これだけできるか。これからは本当にこういう時代になっていくんじゃないかと。すべてがこういう形でもって心の奉仕、世話が、宗教、仏教の教えの大きな中心になっていくんじゃないかと。それぞれのお寺にお邪魔したら、お互いが聞き上手になっていただくことが大事ですね。今、聞き下手ということをよく言います。話し上手は聞き上手ですよ。お寺にお参りし、ご住職、寺庭婦人の方々に話を聞いてもらいに行くことによって、心が癒されるようになってほしいわけです。
次にペットブームなんですね。なぜペットブームかといったら、私の体験を通して言うならば、私の一番の連れ合いは犬なんです。犬はご承知のように文句を言わないですね。飼い主の顔をよく知っているでしょ。笑顔を見せたら、身体を擦り寄せます。怖い顔をしたら、少し離れて機嫌が直るのを待つわけですよ。今、愚痴を聞いてくれるものはペットしかないわけなんです。これをよそへ持って行けないんですよ。だからペットブームになっていくと思います。どうぞ家の中でぜひお飼いになったらいいと思うんですよ。
「なーあ」と言って、こうして。それで、もう1匹おりましてね。2匹おりますが。私が病気になっても、すぐにはお医者さんを呼ばないでしょうが、ペットが病気だと言ったら、すぐお医者さんを呼んでね。今は糖尿になっています、この小さい犬が。毎日インシュリンを打っていますが、大切な家族の一員ですね。私たちの心を癒してくれます。犬は文句を言わないので一番いいじゃないですか、犬も猫も。今一番歓迎してくれますよ、帰ったら。昨日は山に泊まって、今日はここで泊まりますから2日留守にすると、おそらく犬もショボッとしていると思います。家に帰りましたら、「どこに行っていた・・・」と、一番歓迎してくれますね。やっぱり生き物ってかわいいものじゃないかなと思います。
みんな今、命を粗末にするということが何でかといったら、マンションでは犬が飼えないとかいうんですね。だから心が通じあわない。やっぱりお互い慈悲、慈愛というものがなくなってしまうんじゃないかなと。だから、伝教大師の六念をもうちょっと触れていこう、深めていきたいのですが。
4つ目は、知らず知らず贅沢になっていくんだということです。今の時代ですので、すべての贅沢は否定しませんが、「お陰様で」と、あらゆるものに感謝をする生活態度が必要です。
5つ目が、不別衆食(ふべつしゅうじき)。
これは、こう表現すればいいと思うんですね。「食平等(じきびょうどう)・布施差別」、こう言うんですね。食べるものは一緒でいいんじゃないか。この布施というのは、給料と言うと一番わかりやすいでしょうけれども。食べ物は一緒で、給料(手当)は年功、経験、実力いろんなことを含めて、布施は差別があっていいんじゃないかということなんですね。不別衆食というのは、そういう意味です。そこで、今日の一番大事なことは、ここでお願いするのは、人の喜びが自分の喜びになれるかということです。「言うは易し、行うは難し」で、同じだと思うんです。人の喜びが自分の喜びになるか。これはどこまで行ってもならないんじゃないですか、おそらくそう思う。ということは、言葉を換えると、嫉妬・ジェラシーというものは絶対なくならない。これは山田恵諦座主が特に念を押されたんです。
「ジェラシーは絶対なくならんぞ。いい機会を独り占めしては駄目だぞ」
とおっしゃった。これが六念の一番大事な所ではないかなと。いい機会を独り占めするな。例えば、同居の問題も皆そうじゃないですか。ご年配の方は、
「わしらの歯にいいように柔らかな煮付けにしてくれたんやな、ありがとうよ。明日はお前たちの好きなステーキでも食べろよ。わしらは夕べの残り物を温めてくれたらいいぞ」
と言ったら、心が通い合うようになります。それだけのことなんですね。ちょっとしたことで、どんどん変わっていくわけでしょ。ジェラシー・嫉妬というのが絶対になくならないから、それを心しなさい。だから、いい機会を独り占めしては駄目だということを必ず心していただきたいということです。
6つ目が、無病随衆行道(むびょうずいしゅうぎょうどう)。
病は気からでございまして、病に取りつかれるな、また病を探すなということでございます。

○忘己利他、慈悲之極
おしまいは、これは皆さん耳がタコになっていると思いますが、やはり我々の宗祖伝教大師は素敵な教えをたくさんお残しでございます。中でも、やはり素敵なのは忘己利他(もうこりた)の御教えだと思いますね。
その忘己利他、それ以上に、この言葉をお使いになった、「慈悲の極みなり」という、この慈悲を表に出された、これは私はすごいことだと思うんですね。これは思いやりです。慈しみ、相手の立場に立ってものを考えるということが、どんなに大事か。これはそれぞれの立場になってみないとわからないということです。
私は2年半前、もう大方3年になりますか、山で大失敗、足を骨折いたしまして、当時、松葉杖をついて、ステッキで現場監督をやっていました。結局は足の不自由な立場になってみないと足の不自由さを持つ人達のことがわからないということなんです。人間ってそんなものなんです。だからそれぞれの立場に立って、ものを考えるということは、ものすごく難しいことだなということで、お許しをいただきたいと思います。
「己を忘れて他を利する」
ちょっと引きなさい、謙虚になるということがどんなに難しいか、今の世の中、特に難しいですね。だから千二百年前に伝教大師様はこうおっしゃっておいででございます。その教えをそれぞれ耳がタコになるくらい皆さんお聞きでございますが、立場になってみないとなかなかできないし、やれないし、それが当たり前みたいになっている恐れもあるわけでございます。
永らく高いところからご無礼いたしました。どうぞますますお互いが心して、やはり、世のため、人のため、なくてはならない人なるにということが我々の一番の目的ではないか。それが一隅を照らすという教えに即なってくるんじゃないか。亡くなられましたが、ある高名な大僧正が、我々が若い時、布教大会の時に、
「お祖師様の言葉を勝手なふうに使ってはいかん」とこう言って、怒られたことがあるんです、布教大会の最中に。「何にもせんよりいいじゃないか」ということで喧々諤々(けんけんがくがく)、比叡山の前の古い建物の延暦寺会館の、ギシギシいうような大広間で、大激論が行われたことを覚えておりますが、その大僧正のおっしゃることも一理あるのだけれども、一隅を照らす運動は、お大師様の教えを、少しでも自分たち流に理解して、そして皆さん方が実社会でどんどん敷衍していただくということも、決して私は悪いことではないんじゃないかなと、その大僧正にお詫びをしながら思っております。
「一隅を照らす」、この素敵な教えが我々の中の宝物でありますので、どうぞ遠慮なしにお使いいただいて、また実践をお願いいたしたいと思います。まとまりのない話で長時間経ってしまいました。どうぞ意のあるところをお汲み取りいただいて、お許しいただきたいと思います。どうも本当に有り難うございました。

平成10年11月17日に松山市のメルパルク松山で開催された平成10年度天台宗四国教区総合研修会
での真嶋康祐師の講話をもとに編集いたしました。1999/10/3版
真嶋康祐師は2005年11月9日にご遷化になられました。謹んでご冥福をお祈りします。