妙 法 寺 の 歴 史


古絵図  天台宗妙法寺は、正式には山号から正因山実相院妙法寺といい、ご本尊は金剛界大日如来である。現住職は当山中興19世大岡真祥。
 商売繁昌、家内安全等の信仰を集めている伝教大師最澄御作と伝えられる「大黒天」や、また、厄難災除、魔除守護の「元三大師降魔尊像」が奉安されており、元三大師おみくじ祈願所として歴代住職がおみくじによって人生相談に応じ、信仰を集めている。
明和3年(1766)から明和5年(1768)の間に数回にわたって俳人画家・与謝蕪村が妙法寺に滞在して揮毫した「蘇鉄図」など大作6点があり、一名「蕪村寺」ともいう。

 寺の起こりは天平年間に行基菩薩が諸国を遍歴した際、豊田郡和田村(現在の香川県三豊郡豊浜町和田)の正因山に一宇のお堂を建立したことに始まる。長曽我部元親の兵火による消失の後、再建されたが、文禄4年(1595)、豊田郡坂本郷(現在の香川県観音寺市坂本町)に移り、当時は日蓮宗不受布施派に属していた。
 慶長2年(1597)には丸亀城主生駒親正公の命により当山中興1世日眼上人の時、現在の地・丸亀に移った。 寛文6年(1666)に徳川幕府の命により日蓮宗不受布施派が禁止になり、寛文9年(1669)に京都・毘沙門堂の末寺となり、天台宗に改宗し、現在に至っている。
また、日光輪王寺との関係で、徳川家康公や徳川家光公の年忌毎に歴代の妙法寺住職は経衆として日光東照宮へ参勤していた。この参勤は幕末まで続いた。 京極家は外様大名であり、経衆参勤の際には、丸亀の情報を伝えていたらしく、いわば目付的存在として幕府とのつながりがあったようである。
 また、妙法寺は丸亀藩主京極家の祈願所でもあった。文久2年(1862)には、京極朗徹から京極家の家紋である「四ツ目」の入った幕が元三大師宝前に奉納され、京極家の武運長久を祈願した。以後、元三大師宝前に四ツ目の紋入りの幕を掛けることが許された。
 写真は江戸時代の妙法寺の様子(古今讃岐名勝図絵より出典)である。現在は、絵図の大師堂の位置に本堂が改築され(昭和10年)、丸亀市の富屋町商店街の一角においてその法灯が護持されている。
(2016/09/23改訂)

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